6月7日(日)福島県郡山市にある「こおりやま文学の森資料館」に行ってきました。開館25周年を記念して「宮本百合子展」が開催されていました。宮本百合子は、郡山市とゆかりがあり、幼い頃から祖母の家に遊びにきていたとのことです。
17歳に文壇にデビューし、51才の生涯を閉じるまで、一貫して貧しい立場の人を擁護した、そのヒューマニズムあふれる作品は、今でも多くの人々に感動と希望を与えています。資料館に隣接する開成山公園には、宮本百合子の文学碑がありました。
戦前のプロレタリア文学と戦後の民主主義文学を代表する作家だった彼女の言葉は、貧困と格差の拡大が広がる現在の社会の中で、私たちに今も問い続けていると思います。
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「川俣事件」に関する講演を聞いてきました
2025年5月10日、群馬県館林市の館林市文化会館において、NPO法人田中正造記念館が主催した講演会に参加しました。講師は、足尾鉱毒事件に関する著作も出している國學院大學名誉教授の菅井益郎先生でした。参加者は約150人と多くの参加者が集まりました。
川俣事件(かわまたじけん)は、1900年2月13日、群馬県邑楽郡佐貫村川俣(現明和町)で、足尾銅山の鉱毒被害民が東京の政府に請願するために移動でした。この農民たちに対して警官隊や憲兵たちが暴力で弾圧した事件。当時は兇徒聚集事件(きょうとしゅうしゅうじけん)と呼ばれたそうです。農民68名が逮捕され、うち51名が起訴されましたが、1902年12月25日、仙台控訴審で起訴無効という判決が下り、実質的には全員不起訴という形で決着しました。理由は、「検事の書類不備による不受理」ということで、少しあっけない結末でしたが、当事者の被告の人たち、義憤にかられた弁護団、そして、支援をする人々の団結と奮闘があったからこそと思います。講師の分析では、政府は、裁判を続けることによって、国民世論を敵にまわすことを避けたい狙いがあったようです。
実は、川俣事件では、多くの負傷者がでました。怪我を負った住民の「血染めのシャツ」が残されています。通常は、栃木県の佐野市郷土博物館に収蔵され、普段は展示していないとのことでした。遺族の好意により、この講演会で公開されました。(公開は24年ぶりとのこと)私は、偶然にも本物を目の前で見ることができました。
今年は、川俣事件から125年の節目です。命をかけて自らの生業と自然を守るために立ち上がった先人たちを誇りに思うと同時に風化させてはいけないと思いました。と同時に今をふりかえってみると、どうしても原発問題にリンクしてしまうのです。当時、古河という企業は、鉱毒を防ぐことができず、地域の自然と人間の生活を奪ってしまいました。原発も再稼働すれば、処理のできない高レベル放射性廃棄物を増やし、ひとたび事故が起きれば住民の生活を奪うことになります。今日は、環境問題から目を背けては生きていけないことをあらためて感じる一日となりました。


ちひろ美術館東京に行ってきました。
2024年11月19日(火)家族とちひろ美術館・東京に行ってきました。子どもの絵を淡いタッチで描いた水彩画をみなさんもご存じでしょう。私は、以前にちひろ美術館・安曇野には行ったことがありましたが、東京は初めてです。佐野からだと3回電車を乗り換えるので、少し大変でしたが、無事つきました。東京都の練馬区の住宅街にある美術館なので、わりとこじんまりをしておりました。
実は、ここはいわさきちひろの自宅があったところです。作品の他にもほぼ当時のアトリエを再現した展示室もあり、生前のちひろの姿が思い浮かべることができました。館長が黒柳徹子さんなのですが、彼女の登場するVTRを視聴しました。ちひろの生涯は何回か知る機会がありましたが、いつも感動します。いっしょに鑑賞していた女性が涙をハンカチを拭っていました。
初めて知ったことがあります。いわさきちひろの作品は紙に書いた水彩画のため、時間が経つと劣化しまいます。そのため特殊な技術で保存する方法があります。約20年前より作品をデジタル情報として記録、保存するアーカイブを進めてきました。この精巧な技術によるアーカイブをもとに制作をしているのが、「ピエゾグラフ」といいます。
帰りには、さまざまなグッズ(コーヒーカップや文具、ポストカードなど)でお土産を買いました。実は私はちひろカレンダーを毎年購入しているので、附属の無料入場券(2025年からは割引券になるようです)で入館できました。そのかわり沢山グッズを買いました。
実はいわさきちひろは、1974年8月8日に亡くなりました。今年は没後50周年です。美術館でもいろいろなイベントが開催されていました。私も今年は特別な年なのでなんとしても美術館に行きたかったのです。そして今日、19日作詞家の谷川俊太郎さんの訃報を聞きました。ちひろに詩を書き下ろしてくれたりしたそうです。なにか今日は特別な日に感じました。(ちなみに明日は「こどもの日」です)この記事を読んだみなさんへ ぜひ、ちひろ美術館・東京あるいはちひろ美術館・安曇野に訪れてみてはいかがでしょうか?

田中カツを学ぶ
惣宗寺正造の墓と啄木歌碑
本日は、送り盆。菩提寺の春日岡山惣宗寺へ。帰り際に田中正造の墓にもお参りします。正造の墓石は高くそびえ「嗚呼慈侠 田中翁之墓」と刻まれています。左側に石川啄木の歌碑があります。
夕川に葦は枯れたり
血にまどう民の叫びの
など悲しきや
石川啄木
(以下、碑文を転載します)
近代日本の先駆者田中正造翁は 明
治三十四年十二月十日第十五議会開
院式から帰る途中の明治天皇に足尾
銅山鉱毒被害による渡良瀬沿岸農民
の窮状を直訴する 当時盛岡中学
三年在学中の啄木はこの感動を三十
一文字に托した 奇しくもこの年
創立された県立佐野中学校(第四中学)
の生徒達にも鉱毒の惨状は強い衝撃
を与え作文その他に残されている
漢字で25字、足尾鉱毒事件の被害住民の苦しみ・悲しみを詠んだ啄木はすごいと思います。

映画を観てきました。
2024年7月7日(日)、佐野市立図書館で視聴覚ライブラリー上映会として「鉱毒悲歌」を家族と観てきました。田中正造により告発された、日本最初の公害事件、足尾銅山鉱毒事件。幻の記録映画です。周辺住民の苦闘の姿と被害の実態をカメラが淡々と追い続けたドキュメンタリーとなっていました。30名定員でしたが、上映前にすでに申込がいっぱいになっていました。関心の高い市民が相当参加したことは、大変良いことだと思いました。まだまだ、知らないことが多いことも気づきました。機会があれば、また参加したいと思います。
雲龍寺へ行ってきました。
田中正造終焉の地に行ってきました。
群馬県へ出かけてきました。
NPO法人入門講座に参加しました。
2024年5月18日(土)佐野市市民活動センターここねっとの研修室でNPO法人入門講座に参加しました。講師はとちぎボランティアNPOセンターぽぽらの方でした。NPO法人の基礎がわかり、大変勉強になりました。
ブログはじめました
2024年5月、仕事をする時間が、多少短くなったので、ブログを書こうと思います。不定期なりますが、よかったら、読んでください。