惣宗寺正造の墓と啄木歌碑
本日は、送り盆。菩提寺の春日岡山惣宗寺へ。帰り際に田中正造の墓にもお参りします。正造の墓石は高くそびえ「嗚呼慈侠 田中翁之墓」と刻まれています。左側に石川啄木の歌碑があります。
夕川に葦は枯れたり
血にまどう民の叫びの
など悲しきや
石川啄木
(以下、碑文を転載します)
近代日本の先駆者田中正造翁は 明
治三十四年十二月十日第十五議会開
院式から帰る途中の明治天皇に足尾
銅山鉱毒被害による渡良瀬沿岸農民
の窮状を直訴する 当時盛岡中学
三年在学中の啄木はこの感動を三十
一文字に托した 奇しくもこの年
創立された県立佐野中学校(第四中学)
の生徒達にも鉱毒の惨状は強い衝撃
を与え作文その他に残されている
漢字で25字、足尾鉱毒事件の被害住民の苦しみ・悲しみを詠んだ啄木はすごいと思います。
