うるし千ばい・朱千ばい 

(佐野市出流原町)

出流原弁天池には、とても冷たく、すんだきれいな清水がわき出しています。その中には、大きなひごいやにしきごいが元気に泳いでいます。この池をいだいているのが、磯山という石灰の出る山です。その山の東側を後山といいます。

 この後山に、今もとけない宝さがしのなぞが残っています。

     うるし千ばい 朱千ばい

     くわ千ばい 黄金千ばい

     朝日に映す 夕日かがやく゛

     雀の三おどり半の 下にある

と、いう歌が、昔から村人の間に伝わっています。これがそのなぞの文句です。

 この歌は、このあたりきっての大金持ち、朝日長者が宝をかくした場所をとく「かぎ」と伝えられています。

 その長者の家のあとは、いまは何も残っていませんが、昔は、お城のような広い家で、高いへいに囲まれた中に、大きな家があり、まわりにはたくさんのくらがあって白いかべが日にかがやいていたといいます。

いっぽう、駒場の円城院山には夕日長者が住んでいて、朝日長者に負けないほどの大金持ちであったといいます。

 朝日長者には子どもがありませんでした。子どもがほしい長者夫婦は

「どうか子どもをおさずけくださいますように・・・・・」

と弁天様に一心においのりをしました。

 ある晩のことです。長者は不思議な夢をみました。それは、月のとてもきれいな晩に月見をしているときです。急に磯山の上がまぶしいほどに光ると、たくさんの鳥がとんで来たのです。その中の大きな鳥、それはつるでしたが、そのせなかにかわいいお姫様がのっていました。

 長者は、うれしくなってお姫様と手をとっておどりました。そのうち、長者は夢から覚めると、不思議な夢だったので妻に話しました。

「これは、不思議なこともあるもの、わたしも同じ夢をみました。」

と、妻も不思議な思いでいっぱいでした。そして、二人はなおも、子どもがさずかることをいのり続けるのでした。しばらくすると、本当に子どもがさずかりました。それはかわいいかわいい女の子でした。長者は喜んでつる姫と名づけました。

 そして、だいじにだいじに育てていきました。ところが、ある日、長者は、尾須仙人という白いかみをした老人に連られ、女神のところへ連れていかれました。それは、夢とも現実ともつかないでき事でしたが、もどって来ても、その時言われた不老長寿の薬(年をとらず長生きする薬)をつる姫に飲ませることだけはわすれませんでした。

 長者は、家に帰るとさっそくその薬をつる姫に飲ませました。すると、まだおさなかった姫は、たちまち、十七、八才の美しい娘になってしまいました。

 姫は、毎日を山で遊ぶことを、この上もない楽しみにしていました。ところがある日、遊びに出た姫は、山から帰ってきませんでした。長者は心配し、山をくまなくさがし八方に人を走らせてさがしたのですが、ついに手がかりがありませんでした。

 長者夫婦は、あれほどかわいがっていた姫がいなくなったことで、生きる望みもうしなってしまいました。すると、ある夜、長者のねている枕もとに神様があらわれました。

「お前の姫は、水の中で鯉となって、うかび上がることはないであろう。だが、今までの宝物を人々にあたえ、無一文になって毎日神様や仏様においのりをささげれば、姫は竜の神様になって天に上るであろう。」

と、いわれ、夢から覚めました。

 そこで、長者は、姫かわいさのあまり、うるし千ばい 朱千ばい くわ千ばい 黄金千ばい を後山の千騎返りにうずめました

[解説]

「うるし千ばい・朱千ばい」

 この種の話は、富豪の栄枯衰退を語る話で、長者伝説とよばれ全国各地に分布しています。栃木県下にも、たくさん分布し、小山市、日光市のものなどが知られています。

 話の中に登場する朝日長者は、この種の話に好んで用いられる名で、中世の日光山の縁起伝説にもその名が見えています。

 本文は、栃木県連合教育会編「下野伝説集(四)「うるし千ばい・朱千ばい」」昭和三十七年を参考にしました。この話は、伝承者によって、朝日長者に匹敵するこの地方の大金持ち夕日長者のむすこが、鶴姫に恋いをしたとか、朝日長者と夕日長者が、黄金埋蔵の歌のなぞを解くために争ったとか、後世、領主井伊掃部頭の乗馬が後山にまぎれこんだ時、ひずめに朱をつけて帰ったという話もあります。

 また、旧家の馬が「千騎返り」に迷い込み足に朱をつけてきたといいます。その家にはその朱で塗りあげた漆器が残っているともいわれています。

 朝日長者と夕日長者の競い合いは、「鯉が久保」の話を参照して下さい。

(佐野市教育委員会「佐野の伝説民話集」より)

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