虎斑の石 

(佐野市並木町)

刀工正宗という人は、それはりっぱな刀をつくる人としてたいへん有名な人です。この人はとくに、刀をつくるための修行をつみ重ね、武士の世の中の刀つくりの代表者といってもよいでしょう。ある年の夏の始めのことです。正宗は、今の山形県にある月山におまいりすることになりました。昔の旅は、歩いて行くのがふつうです。旅人は、ところどころの茶店で休みながら、旅を続けたわけです。
 正宗がとある茶店によった時です。客の一人が、大きな声で何やら話をしていました。

「わしは、今、佐野の獅子舞を見て,厄ばらいをしてもらって来たよ。」

「それで、どんな獅子だったね。」

「それがなあ、三びきの獅子に茶色の鳥の羽がいっぱいついていて、まるで生きているように  すばらしいんだ。」

「へえー、そのお獅子は何という。」

「あしぐろ獅子といってなあ、村中の人が出て、おはやしをしたり、笛をふいたり、そりゃあ  にぎやかな祭りだよ。なんでも、そのお獅子は、近くの寺の仁王様をほった木の残りで作っ  たとかいってたなあ。」

そんな話を聞いていた正宗は、いてもたってもいられなくなり、予定をかえて、その獅子舞を見にゆくことにしました。花岡の薬師堂の前に着くと、そこには獅子舞を見る人たちでいっぱいです。人をかきわけ、中に入ると、さきほど、茶店の客が話していたとおり、三匹の獅子が、はげしく舞おどり、見ていた正宗もそのすばらしさに、感動しました。舞は、四方固めといい、四方の厄神を獅子が本当の刀を持って切りはらっているところです。正宗は、村人にこの獅子舞のことをたずねたあと、仁王様のある寺をたずねました。安楽寺で寺の話をたずね、じゅうぶんに満足した正宗は、ふたたび旅を続けようと歩き出した時、花岡の野木原橋のあたりで、以前からあった目の病気がおこり、あまりのいたさで、たおれてしまいました。村人には、見知らぬお客さんでしたが、とある家にかつぎこみ、温かくおせわをしました。そのおかげもあって正宗はやっと気をとりもどしました。

「お客さん、ここで目の病気が出たのだから村の薬師様にお願いすれば、きっとなおりますよ  それは、それは、ごりやくのある仏様ですから。」

といわれた正宗は、さっそくおいのりすることにしました。
 その夜、正宗は不思議な夢を見ました。白いかみの毛をした老人が、夢の中にあらわれ

「あなたの目の病気は、あしぐろ獅子の持つ神の刀で、厄をはらってもらえば、たちまちなお  るでしょう。」

と、いってその老人は消えてしまいました。
 つぎの日、正宗は夢のとおり、神の刀で、おはらいをしてもらいました。そうすると、目の痛みも消え、きれいな水で目をあらったら、なおってしまいました。
 正宗は、これに深く感しゃして、お礼の心で刀をつくり、薬師様にささげようと思いました。野木原橋のそばにある虎斑の石を台として二ふりの刀をきたえました。もともと刀つくりの名人ですから、たいへんりっぱな刀ができたといいます。それを薬師様にささげるとふたたび、正宗は旅に出ました。


村人たちは、この石を大切にして、薬師堂の前へうつしました。現在でも高さ3メートルほどのこの虎斑の石は建っています。

[解説]

「虎斑の石」について

中央の有名な人物との結びつきを語る話は貴種伝承と呼ばれ、栃木県内にも、いくつか分布しています。この虎斑の石の伝承も、その系譜に属するものと思われます。

さて、並木町花岡に伝承される芦畦獅子舞は、北関東を中心に分布する風流系三匹獅子舞と呼ばれるものです。それらの多くは近世紀に伝播したものですが、芦畦獅子舞の発生や伝播経路については、詳しいことがわかっていません。風流の名残りをとどめる獅子舞としては、真岡市中郷の大日童獅子舞とともに県内では貴重な民俗芸能の一つになっています。刀を使って厄払いをするしぐさをはじめその一つ一つが勇壮で、この話との結びつきを語るのには十分な条件を備えています。本文は、栃木県連合教育会編「下野伝説集(六)綾織池」昭和四十五年を参考にしました。

(佐野市教育委員会「下野の伝説民話集」より

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