天命のいわれ 

(旧天明町)

ずっと昔、中国に渡った空海や円仁・円珍というお坊さんたちは、天文学を日本に伝えました。これを学んで占いなどをする人がたくさんふえました。
 この占いは、たいへんむずかしく、天にかがやく二十八の星の位置に、日月火水木金土という曜を重ね合わせ、人々の運命を占ってゆくもので、現在の私たちの生活をいまだに、いろいろな部分で左右しています。さて、この占いを学んだ人でたいへん有名な阿部清明という占い師がいますが、その人が、天皇の命令を受けて、天の二十八の星にもとづいて、定めた土地を、佐野の土地にあわせて、星宮慈恵大明神をまつりました。この星宮慈恵大明神は、このあたりの中心的な鎮守となったことはいうまでもありません。
 このいきさつにあるように天朝(天皇)の命によって、できた宿であることから、「天命」と呼ぶようになったといわれています。
                         
(「佐野町郷土誌」より)

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 かつての佐野町あたりは、家々が道路によってきちんと区画され、現在でも、その様子をかすかにしのぶことができます。
 これを称して「小京都」とよばれたこともあります。
 実は、この町わりも、阿部晴明によるものだと伝えられています。

                             (「佐野町郷土誌」より)
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