
(佐野市黒袴町・浅沼町)
太田二郎左衛門という弓の名人が、鎌倉からにげて黒袴あたりに住んでいたそうです。弓の名人ですから、毎日のように野山へ出かけ鳥やのを弓で射おとしていました。
ある日、阿曾沼の岸辺で、おしどりおとり家へ持ち帰ったら、なぜか、その夜、外でみょうな歌声がするのです。よく聞くと「日暮るれば さそいしものを 阿曾沼の まこもかくれのひとりねぞうき」というのです。その意味をよく考えれば、日が暮れたら、夫がさそってくれたのに、その夫は今はもういない。阿曾沼のまこもにかくれてひとりで寝るのはとても悲しく、さびしいということです。
歌声もあまりに悲しそうで、泣いているようでした。戸をあけると、一羽の鳥がとびさっていきました。後をつけると、きのうおしどりの雄をとった所に雌がこものくきをくわえて死んでいました。この夫婦の仲のよさに心打たれ、雄のおしどりもいっしょに、塚をつくっておまつりしたといいます。この塚が、黒袴町内にあります。また、この歌を刻んだ石碑が、浅沼八幡宮境内にあります。
(「佐野市史民俗編」)より
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