
(佐野市鐙塚町・浅沼町)
ずっと昔、鎌倉で不幸のうちになくなった護良親王という人がいました。この人の首は役人の見張りのもとに置かれました。
家来や親しかった南の局は、その様子があまりに悲しいので、見張りがゆるむ間に、ひそかにその首をうばってにげ出すことにしました。
首は家来の1人であった阿曾沼民部五郎のふるさと佐野へ運ぶことにしました。越名沼を舟でわたって来た一行は、もう追手からのがれられないと考え、鐙塚に塚をつくって親王の首をほうむったといいます。

また別の話しでは、首は浅沼町の八幡宮のあたりにうつされ、首塚をつくったともいいます。
さらに、親王の子どもを身ごもっていた南の局は、鐙塚あたりのそまつなお寺で子どもを産んだといいます。その寺の本ぞん様は、いろいろなところをへて引地山観音におまつりされたといいます。
(「地誌編輯材料取調書」より)
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