(佐野市小中町)
この話は、はあ、かれこれ七十六、七年も前の話だがなあ。ちょうどおれが小中へ奉公に行っていた時で、十三ぐらいの時、見たんだったかなあ。
なぞとき坊主が小中の床屋にとまってなあ、そのなぞとき坊主は目が見えなくて、そうさなあ、かれこれ五十くらいの人だったかなあ。それで三味線を持っていた。そのなぞとき坊主のとまった床屋というのは、そんな広い家じゃなかったけんどなあ、村の若い人や子供や大人なんどが、かなり集まったったなあ。
なぞとき坊主は、すわって三味線をペンチャンペンチャンひきながら、みんながかけたいろいろななぞを、とても上手にといたんだったが、何しろ小ちゃい時だもんだから、みんな忘れちゃったが、今でも覚えているのが一つある。それはなあ、こういうなぞだった。まあ、若い人がなぞとき坊主をへこましてくれるべと一心に考えたわけなんだんべが、なぞとき坊主が前のなぞときをおえて、ペンチャンペンチャン三味線をひいていたら、
今度は若い人がでかい声で、
「なぞとき坊主、くそくらえ」
って言って、まあ、なぞをかけたわけだ。そうすると、見に来ていた人なんどは、とてもとけねえと思ったかも知れねかったんだ。なぞとき坊主は、ペンチャンペンチャン・・・・・。
「ウーン、なぞとき坊主くそを食らえエエ、これはちょっとむずかしいな。なぞとき坊 主くそを食えエエ、夏の夕立ととくわいな。西が暗い(汝が暗い)じゃないかいな」
ペンチャンペンチャン・・・・・・・。
それからこんなんもあったった。だれだったか知んなかったが、
「おかんこの中ののみとかけてなんととぐ」
なんて言ったら、やっぱりペンチャンペンチャン三味線をひきながら、
「なんじゃいな、なんじゃいな、なんじゃいなアアそれは床屋ととくわいな、しながら くうではないかいなアア」
ペンチャンペンチャン。
それでおしまいになる時、そこへ集まった人たちがなんぼずつか銭を出し合って、なぞとき坊主にやったった。後にも先にも、たった一ぺんしかなぞとき坊主は来なかった。
(「全国昔話資料集成十八 下野昔話集」高橋勝利・ 加藤嘉一編 岩崎美術社より)箕和田良弥氏採話
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