まこもが池


(佐野市相生町)

現在の相生町あたりには、むかし、「まこもが池」という池があって、古い話が残っています。

 このあたりには、それはそれは正直で、気だてのやさしい若い夫婦が住んでいました。この夫婦の生活は、まずしく、毎日の暮らしもおぼつかないようすでしたから、家の中の道具も何一つよけいなものは、ありませんでした。しかし、どんなに困っても、悪い心をおこし、他人にめいわくをかけるようなことはいっさいしないで、毎日、田んぼや畑の仕事に精を出し、夫婦仲よく暮らしていました。そんな二人のところに、ある日、旅の坊さんがたずねてきました。「すまんが、今夜、とまるところもないのでひとばん、とめてくれまいか。」日も暮れかかったころですから、二人は「このような見苦しい暮しで、なんのおもてなしもできませんが、よろしかったらどうぞ。」と、心よくひきうけました。

                                   

 しかし、よぶんなはしやおわんもないのでいっしょに夕はんをたべることもできませんから、まず、旅の坊さんに、夕はんをすすめてから、自分たちは残りものですませました。

 それから、いろいろな話に時をすごしたあと、床につきました。

 その夜、夫婦のまくらもとで、名前をよぶ者がいました。二人が、ふと目をみひらくと竜の神様が立っていました。そして、おどろく二人に向かって「お前たちは、日ごろ心がけもよく、神様や仏様によくおいのりして、たいへん感心である。これからは、お前たちの望みをかなえてあげよう。ほしいものがあったら、その名前を書いて、まこもがふちに投げ入れなさい。」といったのです。いい終わると神様は消えてしまいました。

 はっとして、気がついた二人はおたがいに顔を見合わせ、二人が同じ夢をみるということは、本当にかなう夢かもしれないと思いました。さっそく、旅の坊さんをもてなすための食器の名前を書き、その夜のうちに、まこもがふちに投げ入れました。

 よく朝、ふちに行ってみると、不思議なことに、夫婦がもとめた食器がちゃんと岸辺にうかんでいるのです。

 二人は、たいそうおどろき、そして喜びながら、竜の神様にあつく感しゃして、それを持ち帰り、旅の坊さんを大切にもてなしてから、おみ送りをしました。

 そのあと、この夫婦は、神様においのりする心をわすれず、心正しく暮らしたので、竜の神様に見守られながら、しあわせな一生を送ったといいます。

[解説]

「まこもが池」について

 この話は、全国的に分布する椀貸し渕伝説の流れをくむもので、椀などをつくることを職業とし全国を流浪した木地屋と水神信仰などを研究する上での一つの資料としてあつかわれるものです。

 市内では、「唐沢山の井戸」の話にも、同様の内容が含まれています。

 本文は、須藤清市著「佐野の伝説と歴史」昭和四十年を参照しました。

 このまこもが池のあった辺りは、大正期までは水田が広がっていました。まこもが池は細流によって、東は越名沼、西は「あやめ塚弁天池」から「まるぼり」「古城の池」へと連なっていたといいます。また、このあたりは、水流の曲り角だったので、深い渕となっていましたが、その後のうめたてで、まこもが池となったそうです。

 (佐野市教育委員会「佐野の伝説民話集」より)

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