古城の池とまる堀 

佐野の七不思議の一つに「古城の池とまる堀」というのがある。この両者が、一年中水量が一定で変化しないのでそうよばれるのであるが、そのいわれについてこんな話が伝えられている。

 昔、城山は春日山とよばれていて、その南から東南方にかけては、あそ沼が広がっていた。そのころ、城を築こうと思っていた佐野家第三十代の当主信吉は、ここを絶好の地と思い、慶長七年(1602年)に、春日山上にあった春日岡山転法輪院惣宗官寺と朝日森天満宮とを現在の場所に移転し、そのあとに春日山城(またの名をうばが城という)を築いて、ここに移った。あそ沼は、城を守る自然の水堀の役目を果たしていたわけである。

ところが不運にも、慶長十八年(1613年)に至って、家康のために佐野家はとりつぶされたので、春日山城は、築城以来わずか十二年で廃城となってしまった。その後、あそ沼はしだいに埋め立てられて、宅地や畑や原野になったが、そのうちこの二つの堀池は、とり残されて、今日に及んだというわけである。

 古城の池は、主として春日山城の西堀の水を集め、まる堀は、主として北堀と東掘の、さらに古城の池から流れてくる水も合わせて、伊勢山南へと流れているといわれている。

恐らく、古城の池は、城の真南にあるので、その名がつけられたのであろうし、まる掘は城のまわり堀のよび名がそのままなまってよばれたものであろう。

そして両者の水源地は、古城山の西北のすみにある水量の豊富なわき水なので、現在も埋め立てられたほり底を地下水となって注いでいるようである。そのため両者の水量は一年中変化がなく、佐野の七不思議の一つとされている。(須藤清市氏著「片葉のあし」参照)

この種の七不思議の話は、寺や神社にまつわるものが多く、近くでは、下都賀郡大平町の大平山麓の大中寺にまつわる七不思議の話が有名である。

                                             (佐野市史「民俗編」より)

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