(旧犬伏町)
昔の犬伏あたりは、たいへん草の生いしげる山里でした。
この村は、毎年秋になると、山の上におまつりしている八幡様に一人の娘さんを、人身ごくうといって、神様のいけにえとしてささげ、その年の豊かな実りをいのるならわしがありました。ある年のことです、ようやく秋が近づいて村中が何となくさわがしくなってきました。とくに、年ごろの娘を持っている家は、本人はもちろん、しんせきをはじめ、となり近所の人たちも、生きた心地はなく、いつか自分の家に白羽の矢がたつのではないかと心ぱいする毎日が続きました。5、6人の人たちが村の辻に集まり、何ごとか話し合っていました。
「ゆうべ、八幡様に火の玉が見えたぞ。」
「おお、そりゃたいへんだ。」
この火の玉が、その年の人身ごくうをささげよという八幡様のお告げなのです。その後、何日かの間にどこかの家に白羽の矢が立つことになって、いよいよ、村の中は深い悲しみに包まれてしまうのです。
すでにその火の玉は上がったのです。
まもなく、善右衛門さんの家におそろしい白羽の矢が立ったのです。いうまでもなく、その家の一人娘がねらわれたのです。娘さんの心の中は、あまりのできごとに生きた心地はしません。しかし、それをどうすることもできず、泣きながら、身のまわりの整理をしたり、やって来るしんせきや、友だち、村の人たちに別れのあいさつをして、その日を待つしかないのです。すると、そこに、ひょっこり一人の山伏がおとずれました。家の中の様子がおかしいので、山伏は話を聞いてみました。そして、人身ごくうのことを知らされたのです。
それは、とんでもないことだと、思った山伏は、すぐに村の役人である名主さんの家をたずね、
「こんなおそろしいことは、わたしが命を投げ出してでもやめさせます。」
と、いいました。名主さんをはじめ、集まった村の人々は、この山伏の話に心が動かされ、山伏に力をかしてやろうということになったのです。
いよいよその日がやって来ました。
山伏は、どこからか、一ぴきのあらあらしい犬を借りてきました。いっぽう、善右衛門さんの家では、ぎせいとなる娘さんのために別れの宴会がおこなわれ、みな不安におののきながら、かわいそうな娘さんをなぐさめ、はげまし、ひたすら娘さんが生きて帰れることをいのるばかりでした。やがて、この宴会が終わると、庭先に大きなかごが持ち出されました。さて、山伏はどうしたことか、そのかごの中に、娘さんをいれると見せかけ、実さいには、借りてきたあらあらしい犬を入れました。いつもの年のように、村人たちは、このかごを山の上までかつぎあげ、八幡様の社の前に供え,何事もなかったように山を下りてきたのです。次の日の朝のことです。山伏の指図で、村の人たちが山へかけ登ってみると、社の前にはひひの毛と犬の毛とがあちこちにちらばり、赤黒い血にまみれたひひと犬が死んでいました。
「ものすごい争いをしたんだなあ。」

村人のいうとうり、ひひと犬とのたたかいはそのあとを見てすぐにわかります。こうして、長年にわたって、かよわい娘をぎせいにして、正直な村人たちをだましていたわるさが年取ったひひのしわざであることがはっきりしました。こうして、人身ごくうは、とりやめとなり、村人は犬と山伏に感しゃし、このあたりを犬伏ということにしました。
[解説]
「犬伏の里」について
この種の話は、地名の由来を語る伝説として、県内にも数多く分布しています。本文は小林友雄著「下野の伝説集あの山この里」昭和五年、を参照しました。
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(佐野市教育委員会「佐野の伝説・民話集」より)
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