人丸神社の神様 

(佐野市出流原町)

出流原弁天池は、一年中、夏でも冬でも、水がなくなることはなく、あたりの木々や岩山などをうつして、ながめがたいそう美しく佐野市の名所の一つとなっています。また、この池の水がたいへんきれいだということで日本名水百選にもえらばれています。この水にちなんで次のような話が伝えられています。

 昔、このあたりの人々は、寺久保から流れ出る寺久保川や旗川の水などを使って田畑をたがやして生活していました。

 ある年の冬のことです。かわききった天気が続き、どうしたことか、春になっても雨がふりません。毎日、日が照りつけるばかりで、道ばたの草はほとんどめを出さず、冬のかれ葉のままです。山の草木もさっぱりのびません。

 お百しょうさんはすっかり困ってしまいました。しかたなく、わずかばかりの井戸水をくみ上げて、野さいの種をまきましたが、それさえもめを出してくれません。空を見れば相変わらず太陽がぎらぎらとかがやいています。

 「きゅうりのめはでたかね。」

 「いや、だめだよ。」

 「うちじゃ、ねぎもかれそうだ。」

 「井戸水も少なくなってきたね。」

「これじゃ、飲み水が心配だよ。」

お百しょうさんたちは、心配と水くみでつかれきった体を休めながら、空をながめてはがっかりし、畑を見てはためいきをつくばかりでした。

それでも、まだ、井戸の中に水がある間は、野さいくらいはできるだろうという、いくらかの望みはありましたが、浅い井戸は、その水も少なくなり底が見えはじめました。

「雨がふらないのは神様のおいかりかもしれない。」

「神様にお願いして、雨をふらせてもらおう。」

人々は出流原の磯山のふもとに集まり、雨ごいのお祭りをすることになりました。相談の結果、磯山の一番高いところに登り、このお祭りをすることになりました。火をたき、たいこやかねを打ち鳴らし、大声を出して、神様にお願いしました。

赤々ともえる火

どーん

どーん

というたいこの音が、あたりの山々にこだまして、ひびきわたります。でも、晴れわたった夜の空には、数知れない星がきらきらとまばたくばかりです。この祭りは夜通し続けられましたが、次の日になると、また太陽が、いきおいよくあたりの山々や田畑を照らし出しました。人々はがっかりしてしまいました。そのあと、人々はボンデンをあげることにしました。ボンデンとは、長い竹の先にヘイソクをつけたもので、これを山の高い木にしばりつけておくと、これを目印に神様が、天からやって来ると考えられているものです。人々は、このボンデンを磯山のちょう上の高い木にしばりつけ、そのまわりに四本の青竹をたて、しめなわをはりめぐらせました。そればかりでなく、その中に台を置き、もちやお酒をそなえました。

こうして、雨がふることをお願いしても相変わらず雨はふりだしませんでした。

ふたたび、たいこやかねを打ち鳴らし、山のちょう上でのお願いが始まりました。昼も夜も休まず、二日二晩の熱心なおいのりに、人々はすっかりつかれきってしまいました。交代の人も山を登る元気もなくなって、中にはふもとでしゃがんでいる人もいます。赤々ともえていた山の上のたき火も、いつしか消えかかり、思い出したように時々もえ出すほのおが、あたりを照らし出しています。

すると、その時です。ふもとの人丸神社のあたりに、白い着物を着た一人の老人があらわれました。そして、持っていたつえで、岩をついたところ、不思議なことにそこからとつぜん、こんこんと水がわき出したのです。人々は、あまりのことにびっくりぎょうてんし、そこにへなへなとすわりこんでしまいました。

あれほど待ち望んでいた水が、今、目の前にわき出しているのです。人々は、老人の前へ手をつき、頭を下げました。そして、ふたたび顔を上げた時には、もうその老人のすがたは見えませんでした。

「あの白いおすがたは神様だったのだ。」

「おれたちのねがいを、神様は聞いてくれたのだ。」

「ばんざあい。」

うれしさのあまり、泣き出す人、わらい出す人、水をすくってながめる人、おどり出す人と、磯山のふもとは夜明けとともに村人のよろこびの声でうずまりました。

それ以来、磯山の水はどんな日照り続きの年でも水のかれることなく、このふきんの田畑をたがやすお百しょうさんたちを喜ばせました。

今の弁天池のほとりにある涌釜神社があるところには、人丸様がまつられていました。村人たちは、この人丸様を養水の神としてあがめ、社をつくりなおし、旧れき六月十四日に毎年、お祭りを続けるならわしにしました。不思議なことに、この日、神主さんがおいのりをささげると、ほおっと神様がすがたをあらわすことがたびたびあったそうです。今は涌釜神社の中に人丸神社もあわせまつられています。

[解説]

「人丸神社の神様」について

この話は、栃木県連合教育会編「下野伝説集(一)「朝日堂・夕日堂」」昭和三十四年及び、栃木県神社庁編「栃木県神社誌」昭和三十九年などに掲載されています。話の内容は、ほとんど同じですが、「栃木県神社誌」の方は人丸様に焦点をあてている点に特徴があります。近年の人丸信仰の研究によれば、人丸様は水神としての性格がクローズアップされています。そのため、本文も「下野伝説集」の粗筋をベースにして、人丸信仰の要素も加味して再構成しました。
 人丸信仰といえば、小中町の人丸神社も、民俗学者柳田国男によって水神としての性格が指摘されています。栃木県は、この人丸様が、割りと多く分布し、示現神社をはじめ、各種の境内社として祀られるケースが多いようです。やはり、どの社も、近くに水の湧き出す所があるという点は、共通しています。

                    (佐野市教育委員会「佐野の伝説民話集」より)

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