どんりゅう上人の話 

(佐野市大祝町)

どんりゅう上人は、弘治二年(1556)に、現在の埼玉県岩槻市で生まれました。いろいろな修行の結果、たくさんの不思議なできごとをもたらしてなくなり、群馬県太田市の大光院というお寺にまつられています。この上人様の行なったりっぱな仕事は、関東地方のあちこちに伝わっています。
 市内では、上人様が三十九才のときから九年間、大祝町の宝竜寺でお坊さんとしてのつとめをはたしました。やはり、市内でもめずらしい話を残しています。
 大祝町のとある酒屋さんのうらに、竹やぶがありました。そのなかに池があり、1ぴきの大蛇が住んでいました。いろいろなわるさをするので人々はたいへん困っていました。
人々は上人様に相談すればなんとかしてくれるにちがいないと思いました。
上人様は人々から話を聞くと、さっそく、その池のほとりへと出かけました。
池を目の前にした上人様は立ったまま、お経を読み続けました。

そして、心の中で(どうか大蛇の力を私の体の中へこもらせたまえ)と、祈りながら

「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・・」

と、十回ほどくりかえしました。

すると、上人様の顔が、さきほどとはちょっと変り、けわしい様子になったかと思うと、顔を池の水のところえもってきて、ごくり、ごくりと、飲んでしまいました。
上人様は、願いのとおり、大蛇の力を自分の体の中にこもらせてしまったのです。力がなくなった大蛇は、もうわるさをすることもできません。
人々の喜びは、たいへんなもので、上人様のうわさは、あちらこちらに広がりました。
上人様も、そのことがきっかけで、これまで名前に曇竜という文字をあてていたのですが、竜をも呑みこむという意味の呑竜という字に改めました。

それからというもの、上人様は、いたるところで、人々の苦しみを取りのぞいてやったといいます。

ある年のことです。植野村あたりでは、日照り続きで、田んぼや畑の作物もかれそうになって、村人たちは、ほとほと困り果ててしまいました。

「雨がふらないなあ。」

 「ほんとに、困ったもんだ。何かいいてだてはないかなあ。」

 「そうだ、上人様にお願いしてみてはどうだろう。あの人は、えらい修行をして、たいへ んりっぱな坊さんだという話だ。おれたちのことをなんとかしてくれるにちがいない。」

 村人たちは、そろって上人様のところへお願いに行きました。
その話を聞いた上人様は、さっそく植野村へ出かけ、広い田畑のまん中に立ち、お経を読みました。すると、雲一つなかった空が急にまっ暗になったかと思うと、かみなりとともに大粒の雨がふりだしました。
 村人たちは、喜び、ますます上人様は有名になってきたといいます。
 ある時は、お産で苦しむ女の人のかたわらで、ひたすら念仏をとなえ、その苦しみから救ってやったといいます。

 宝竜寺では、毎年九月に上人様のおまつりをおこなっています。

[解説]

「呑竜上人」について

 呑竜上人は、江戸時代の初期に活躍した浄土宗僧侶です。慶長十八年、徳川家康の命令で大光院が建立されると、その開山となり壇林教育に専心しました。庶民教育に心をくだき、生活困窮者の子供を引きとって教育をしたため、「子育て呑竜」と呼ばれ、現在でも大光院への信仰は盛んです。
 本文は、佐野市史編さん委員会編「佐野市史 民俗編」昭和五十年を参考にしました。

                              (佐野市教育委員会「佐野の伝説民話集」より)

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