始祖建築師、福田勘五郎は、江戸尾州の家中藩士小川勘兵衛、加子夫妻の長男として文政元年(1818年)江戸本郷の藩武家屋敷に生まれる。長じて、江戸末期で武士としての将来を考えた勘五郎は、たびたび小川家に出入りする大工棟梁の自由溌剌たる態度、いなせ姿に心を引かれ、武士を捨てて(1833年)に、徳川家出入りの棟梁、立川小平氏の元に弟子入りし心技を磨く。
その5年後、当時将軍家において上州(群馬県)大田大光院の呑龍様を建立するに
当たり、幕府普請方出入りの筆頭棟梁に立川小平、外5棟梁の中から立川小平氏が
選ばれ、太田に赴き、その工事を担当したので、勘五郎も同行し施工に従事した。
8年後に完成し帰途につく通過の折、佐野植野城主堀田候一万三千石の邸内に建築中の棟梁が友人の沼津の定さんである事を知り、これに工事の協力を要請された。その工事にたずさわっている折、勘五郎28才の時たまたま佐野仲町の住人、遠藤喜衛門氏の希望でその婿養子となるが後に独立して遠藤家の屋号(福田屋)にあやかり姓を福田と改め、子孫代々始祖の業を継ぎその間、勘五郎、林次郎、政吉、唯治、完輔、紳一の6代150余年経て今日に至る。
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