プラモとの出会いとその生活


1.プラモとの出会い

プラモとの出会い……それははっきりとはいえないが、あれは招き猫が小学校2、3年生だった頃にまで遡る。夏休みに家族と海に出かけ、その帰り道にあったドライブインのようなところで、元祖SDガンダムのZガンダムとニューガンダムを買ったのが始まりだと思う。
当時の招き猫は製作技術など無いに等しかったが、買ったその日の内にZガンダムを作り上げ、待ちきれなくて翌日早起きしてまで、もう一体のニューガンダムを作り上げた覚えがある。
思えばそれがすべての始まりだった…………


2.その手に色を

その頃は、招き猫の地元でもたくさんプラモを扱う店が多かった。当時はSDガンダムがはやっており、BB戦士がいたるところにあふれていた。招き猫も最初は元祖SDガンダムばかり作っていたのだが、いつしかそれでは物足りなくなっていた。
そして次のステップとして手を出したのが1/144ガンダム。そうあの名高き最初のガンプラだった。最初のガンプラだけあって、本体は完全真っ白。ポリキャップも無し。パーツの合いもいまいちと、元祖SDガンダムしか作っていなかった奴が手を出すのには荷が重い代物だった。
それでも幼い招き猫は四苦八苦しながらもそれを作り上げた。だが、作り上げても満足感が薄かった。当然である。ガンダムの形をしているとはいえ、本体は真っ白の塊なのだから。そこで幼い招き猫がした行動は、そう色塗りだった。
今思えばBB戦士も作ったことの無い子供が、1/144ガンダムの色の無さに満足できずに水性ホビーカラーで着色する……
招き猫のプラモ人生はある意味そこから決まったのかもしれない。
その後、BB戦士にも手を出すが、素組ではぜんぜん色がついていないことが招き猫は許せなかった。作った以上は綺麗に仕上げる。そんな思いを胸に水性ホビーカラーは増えていった。もっとも当時の招き猫も小学生であるから畳にこぼしたり、床に色をつけてしまったり、でずいぶん母には怒られた。


3.プラモ暗黒時代

そしてそんなある日、両親から衝撃の宣告を受ける。「プラモ禁止令」あまりのプラモの数(およびその残骸)に業を煮やした両親が取り決めたものだった。これによりプラモは作れなくなってしまった。
当時、招き猫は小学5、6年頃。そのころはまだBB戦士にどっぷりつかっていて、ボンボンを立ち読み(漫画禁止令も出ていたため)しながら、プラモを作りたいという欲求を抱えていた。
そんな中、うまい手を考え付いた。招き猫の小学校には部活とは別にクラブ活動というものが別枠で存在し、その中の一つゲームクラブは通常カードやボードゲームをするのだが、時々プラモを作る時があったのだ。招き猫は迷わずそこに入り、いくつかプラモを制作することに成功する。
しかし、結局はおおっぴらにプラモを買うこともできずに、小学校を卒業。ゲームクラブともおさらば。再びプラモが買えない日々が続いた。


4.さらばプラモ

中学三年間は勉強と、部活のサッカーが忙しくて、プラモのことはほとんど忘れていた。そしてもはや禁止令はうやむやになったものの、その頃はミニ四駆にはまっていた。いかに速く走らせるか、いかに軽くするかなどの作業が面白かったのだ。しかし、そのミニ四駆とも中学卒業と共におさらばした。
そして高校受験の憂さを晴らすべく、そしてプラモとはもう決別しようと決心し、最後にして最高のプラモを作り上げようとした。
Wガンダムゼロカスタム。そしてそれと同額くらいのプラモ用品を買い込み、いつもならば1日で作り上げてしまうところを、3日くらいかけて丁寧に作り上げた。
当時までに覚えた技術をふんだんにつぎ込み完成したWゼロカスタムは、それまでのどのプラモよりも美しく仕上がった。そしてそれを最後にプラモから足を洗った……はずであった。


5.プラモ魂、再び

招き猫は大学にも無事進学し、独り暮らしながらも平穏な生活を送っていた。もはやプラモは軽く4年は手にしていなかった。だが、そんな日々にも転機というものが訪れる。
招き猫が入っていたサークルは文芸同好会(プラモを止めてから目覚めた)だったのだが、その中には必ずガンダム好きはいるという。そしてそれらの人たちとの会話で最近のプラモ、特にマスターグレードはできがいいらしいと聞いた。そして招き猫も進められた。そして中古のなら買ってつくってみようか、という気持ちが湧いてきた。
そして近所のあやしいリサイクルショップでMG、ガンダムGP-01を入手。そこでもう、なにかスイッチが入ってしまったのだろう。制作している内に、あの懐かしくも充実した感覚が蘇ってきて、完成させた時には今までに無いような充実感を得ていた。
そう、プラモ魂は復活したのだ。その後、大学卒業するまでの2年半で様々な店に行き、プラモを買った。秋葉原が160円で行けたというのも大きかっただろう。そのうち、サークル内でかなりのモデラーと認知されてしまった。それで初心者とかと集まってガンプラを作る会なるものも開いた。おそらく、学生生活で最も充実したプラモ生活だった。


6.そして現在

今、招き猫はなんだかんだでニートと成り下がり、病気療養、家事手伝い中である。地元もプラモを扱う店が減り、新商品しか置かなくなった。
それでも招き猫はプラモを作り続ける。ただ好きだから。
<了>



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