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水と万葉の里、歴史と文化の街 佐野

写真で紹介する私設サイト。

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佐野観光情報

佐野市観光協会
















































































みかも山より  佐野新都市を  望む
みかも山より  佐野新都市を  望むイメージ

佐野市の概要

例弊使街道の「宿場町」として栄えた旧佐野市、「門前町」の旧田沼町、ドロマイト生産日本一の「鉱都」旧葛生町が平成17年2月に合併。数多くの伝統文化を受け継ぎ新佐野市が誕生した。

平成15年春、東北自動車道佐野インター近くに、佐野プレミアムアウトレット、イオン佐野新都市ショッピングセンターが進出。北関東自動車道が開通と恵まれた立地条件を生かし、物流の拠点となる。4つの工業団地、短期大学を擁する県南中核都市として発展、名実共に「北関東の玄関口」となる。

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司馬遼太郎 文学碑
佐野市内 植野地区公民館敷地内


   各ページ の 紹介



店舗・建物

市内の街並みは昭和ロマンの面影を残す
建物や店舗が多い。
イメージ
写真は某呉服店
 駅  JRと東武線の駅  8駅の紹介

写真は、東武佐野線  多田駅
(現在は、建物は無い)


自然・風景
 

 四季折々の写真


写真は 葛生  蕎麦畑

佐野について、ウンチク

新佐野市は、中世の時代に佐野市北部と田沼、葛生を合わせ佐野荘と呼ばれていた。

(1997年出版)東京堂出版の「日本荘園大辞典」によると、佐野荘として次ぎのように述べられている。
「安蘇郡の荘園。現、栃木県佐野市と葛生・田沼・岩舟町の一部を含む地域。創建年次は不詳であるが、安蘇郡司で開発領主の藤原姓足利家綱が、その所領を左大臣藤原頼長(よりなが)に寄進することによって成立したものと思われる」となっている。

資料によると、佐野市の堀米町より北は佐野と呼ばれていたが、堀米町の南の境よりも南部は、天の命と書いて天命と呼ばれていた。昔は、現在の佐野市役所の位置は佐野ではなく、天命だった。

佐野市の佐野と言う文字は、昔は狭い野という狭野をあてはめていたようです。昔の人が言う「野」とは、嵯峨野、吉野、熊野、武蔵野と言う地名が示すように、いずれも山ほとりの人里離れた場所を言っていました。そして「野」とは山と里のちょうど中間にあって、特別の意味を持っていた。
つまり山は神の領域、里は人の領域で、野はその中間の神と人との交差する地域のことで、嵯峨野、吉野、熊野などは仏教的な隠遁の地でもありました。「野」と言う言葉の中に神や仏たちへの畏敬の念が含まれていたようだ。
だから現在の田沼と葛生も山と里の中間であり三方を山に囲まれている地域であることから、中世において佐野と呼ばれていた。 


今からちょうど400年前の1602年に、政治の拠点が唐沢山から春日岡(現在の城山)に移ったことにより天命も佐野の街と呼ばれるようになったようだ。しかし、正式に行政区域として佐野町となったのは明治初期の9年。
そして現在の旧市街地を含む地域、佐野の半分の地域が天命と呼ばれていたが、今では小学校名と小学校通学区域名及び天命鋳物に名前を留めている。
天の命と書いて天命と書いていたのが、天の明るいと書いて天明と書かれるようになったのは、1633年・寛永10年からとの事。

(安蘇史談会資料から引用)