園長ぶつぶつ 2009

                            (園長ぶつぶつは月に一度掲載しています)

2009.12.31 「明治の気迫」

2009 年も押し迫り、 NHK で「坂の上の雲」というドラマが始まった。まともに視ていたら、 1 部は今年で終わりで 2 部が来年の 10 月頃から始まるという。

誠にスケールの大きいというか悠長なドラマ作りである。

しかし、明治の人たちの国づくりの気迫が良く伝わる良質のドラマであった。

1 部では秋山兄弟が松山に生まれてから政府の学校そして軍を通して、アメリカ、イギリス、フランスなどの列強に留学し学んでく姿が印象的だった。

どう考えても誠に困難な国としても未知な分野への挑戦の日々が描き出だされていた。

はたして今の日本人とくに青年たちにはそのエネルギーを持ち合わせているのだろうか。

目の前に課題が与えられたときに、「できない」と思うか「やってみよう」と思うかで人生は決まる。

また「できない」と思う人間のところにはその一団が、「やってみよう」と思う人間のところには同様の人が集まるのも事実だ。

私は、あなたはいかがであろうか?  子ども達は大人を見て育つ。見られている大人は子どもたちの未来に責任を負わねばならない。

12 月は総決算の時、反省なくして進歩など あるはずもない。        大晦日に職員室にて

 

2009.11.1 「事業仕分けに思う」

今、新政府の事業仕分け作業ということが話題になっています。

昨日は、ノーベル賞を受賞した科学者たちが、研究開発予算の削減を憂いと怒りをもって、撤回をもとめている記者会見をテレビが報道していました。

科学の基礎研究というものは、すぐに成果が見えづらいものであり、

平たく言うと、そうそうお金にはならないものだが、長い目で見ると国家的にも大切なのだというのがその論拠です。

私は、「幼児教育と同じだな」と思いながら聞いていました。

幼児教育の成果はすぐには見えません。

跳び箱や水泳でもさせれば成果は目には見えやすいのですが、

例えば人を思いやる気持ちや、正義感、まじめさ、物事への興味関心具合等々は、箱の段数や帽子の色で分けられないし、

その測定評価も一様ではないわけです。しかしそれらは生涯生きていくのに大事なものにほかならない。

そういうところが共通だということです。

でもこんな研究もあるのです。アメリカのシカゴ大の先生、この人はノーベル経済学賞もとった人ですが、

幼児期の教育はその後のどんな教育よりも経済投資効果があるということです。

つまり良質の幼児期の教育を受ければ、その人たちは後に犯罪者になる比率は絶対的に少ない。

また、しっかりとした職業に従事し納税もしてくれる。さらに社会的な貢献もしてくれる。という経済的根拠からです。

その真偽はともかくとして、どちらにしても目先の事にとらわれないということはとても大切だと思います。

生活発表会も近づき、年長のゆり組は「ハンスのしあわせ」という劇をしています。

今の「しあわせ」を否定することはありませんが、

本当の「しあわせ」とは何かを考えたときには、事業仕分けのような考え方だけでは見失うものもあるということです。

少なくとも子育てや人生は長いスパンで考えなくてはならないものです。

「あせらず、あわてず、あきらめず」 こんな言葉を言っていたスポーツマンがいたことを今思い出しました。

 

 2009.10.1 「親の視線」

運動会のシーズンだ。親ってありがたいもので自分の子供の姿をじっと見ている。

一挙手一投足も見逃さないぞとばかりに見ている。夏休みに 小学生のサッカーチーム「呑竜 FC 」が関東大会に出場した。

ここでも親たちの力はすごいものであった。なんたって、審判の力量はうなぎのぼりに上がり3級審判員を取ろうとしているお父さんもいる。

どんな遠い遠征だって車を連ねて応援に行くし、お弁当や冷たいものの手配だって完璧だ。遠征では幼稚園のマイクロバスの運転だって厭わない。

親というのは子どもの方を向くように神様がプログラムしているかのようだ。

少なくとも呑竜の親たちはそうである

これが園長としての自慢である。モンスター・ペアレントなんて言葉が一時流行ったが,,わが園は良い意味でのスーパー・モンスター・ペアレントの牙城である。

今日もさっきまで運動会の準備のためにたくさんのママたちが園に集合していた。



9月13日。その時はやっと訪れた。後半39分。

場所は味の素スタジアム。相手は東京ベルディーである。

わたしの息子は湘南ベルマーレからザスパ草津に出番を求めてレンタル移籍したサッカー選手である。

私は行われている目の前の試合よりも監督の動きと、控え選手のウォーミングアップの場所が気になる。

「早く出せよ」の胸の言葉がやっと通じたのか。なにやら動きがある。「お、呼ばれたぞ!」「でも遅いぜ」と思ったがまあいいだろうとうなずく。

34番にボールが回らない。時間が無いんだとイライラするがしょうがない。やっと触ったと思ったら簡単に後ろにはたく。

「自分で持って行けよ」と強力なテレパシーを送る。

しかし時間はすぐに過ぎてタイムアップ。試合は逆転負け。出場時間はたった10分程度でしかない。

しかし至極の時だった。

サポータにーには申し訳ないが試合に負けてもまったく関係ない。こちらはただの親だ。何が悪い!

息子が幼稚園のときの卒園文集に書いた「サッカー選手になりたい」が叶えばいいのだ。

多くの人波の中で「やっと出られたね」と女房と喜びあった。親としてそれで十分だった。

 

2009.9.1 「浜に明日なし

本園の  NSC (ネーチャー&サイエンス・クラブ)で大洗に地引網に行ってきた。

北関東自動車道が開通しほぼ1時間半の道のりになり、海なし県の栃木の子も海が身近になったのは喜ばしいことである。

行ったのは先月の30日、台風の影響もあり北風が強く、結果的には地引網は出来なかった。下見に行ったときの漁師さんの言葉「浜に明日なし」のとおりになってしまった。

この言葉はどういう意味かというと、海というのは今日と明日でがらりと変わってしまうということ、今日豊漁でも明日はまったくわからないよ ということだと教えてもらった。

大げさに言えば人生そのものということかもしれない。

とは言っても石崎丸の親父さんはあの荒海の中、漁船を出してなんとか地引網決行のために準備を試みてくれた。まさに命がけである。ありがたいことだ。あの人たちはこういうところがすごいと思う。

さて私たちも、自然相手のことなので代案は考えていた。それは港の市場での魚の買出しとバーベキューである。4つの異年齢のグループに分かれての活動となった。

お金も子どもたちに任せて食べたい魚を買うのである。なるべく魚一匹をまるごとで買うように話しておいた。というのはそう言わないとトレーのお刺身を買ってしまうのである。

それでは港の市場の意味がない。それと値切って買う醍醐味も教えた。人と人とのコミュニケーションの原点がこの市場での買い物ではないか。子どもたちは結構上手にやっていた。秋刀魚一皿500円を300円にしてよと言う。

中を取って400円は上出来である。顔見知りになった買い物の最後の頃も、粘って交渉する。「あり金を置いてきな」という店員さんに200円を差し出して、「まいったな」と苦笑いを誘っていたのも印象的であった。

イカやタコ、ハマグリ、岩カキなどもしっかり買う。鰹は2枚におろしてもらい刺身でも食べた。食べたいものを買ってきて、焼いて食べるのはまことに楽しい。

地引網が出来たなら、獲ったものを食べるということになる。これまた楽しいはずだ。日常では子どもは目の前に料理が並ぶことが多い。食べなさいと準備される。

しかし今日は別である。海の家のドラム缶で薪と網で焼くのだから大焦げのものもあるが、おおいに食べた。途中豪雨が屋根をたたき、砂交じりの風が吹くが良く食べていた。

多少寒いが火で体を温める子もいる。だんだんと荒れる海。自然はやさしい時ばかりではない。今回もいい体験をこの子たちはしたと思う。

 

2009.8.1 「灯篭流しの花火

 

佐野の灯篭流しは 8 月の 18 日に秋山川の河川敷で行われます。

戦後すぐから佐野の旧市内の 10 のお寺で実施しています。たくさんの灯篭が川面を流れていく様子はお盆の送りにふさわしい佐野の夏の風物詩でもあります。

10 のお寺のなかには育成館幼稚園、洗心幼稚園の妙音寺、浄泉寺さんも含まれます。

そんな関係もあり、 10 の寺の結びつきはたいへん深いものがあります。

8 月にはいるとその準備があり、その中でも花火の寄付集めがこの時期の恒例のことです。

市内を4つの区画にわけて1軒づつ寄付のお願いをして歩くのです。お会いするのは一年ぶりの方もおりますが、皆さん快く応じて頂けるのは有り難いことです。

寄付は当日の供養のために上げられる花火に使われます。夏の夜空にバーンと打ち上げられ、

故人のみならず大輪の美しさを今を生きる多くの方に分け与える花火だからこそ、「いつものやつね」と私たちの顔を見るなり言っていただけるものと思っています。

寄付というものは対価や報酬ではありません。ですから自分のお金が何か有意義なものに使われるとき、いや使ってもらえると確認できれば承諾いただけるものです.

逆を言えば、信用されない人は「寄付して」など言うのはもってのほかです。1円だっていやだと言われます。

その意味で信用に値するかどうか問われる寄付まわりは、私たち坊さんの修行であるとも言えます。

2009.7.1 「セミナーに思う


呑竜幼児教育セミナーを 3 回ばかり現在( 7 月 2 日現在)のところ実施した。

(内容についてはインフォメーションのページを見て欲しい)

これはお母さん方に幼児教育というもの、もちろんその中心となる幼稚園教育の本質をお伝えする、連続 9 回の講座である。今年からはじめた新企画である。

毎回 20 名ほどの参加者があり、私の脱線ばかりの講義を聴いてくれるのは本当にありがたいことである。対象はお母さんではあるが、

内容的には幼稚園教諭養成の学生さんに話すのと同じようにと思って、テキストも使い、時には指名し発表を求めるスタイルもとっている。

総じてこのセミナーの参加者のレベルは高い。まず寝る人がいない。私語もない。メモを取る人さえいる。(笑)質問も的確で教師を刺激するものである。

はるかに大学の講義よりも手は抜けないという感じだ。最後に起立し挨拶もするようにした。学校の臨場感をかもし出す為にである。ただしテストは行わないつもりである。

どちらにしても、この「幼稚園教育総論」とでもいうべき講座は入園説明会やオリエンテーションとは違い、こちらも話しやすい。

その理由は幼稚園教育のあるべき姿を語ればいいからである。とは言うものの、理想から離れすぎた当園の姿では申し訳ないのでフォローはその都度してはいるが、

まあ理想どおりには行かないことはご了承願うしかない。

やってみて感じたことは、ママに対する「幼稚園教育総論」は家庭での教育にも共通することが多いということだ。

賢明なる当園のママ達は、自分の家庭での接し方に置き換えてこの話を聞いてくれているようだ。つまり我が家庭教育の実践に幼稚園教育の原理を取り込もうとしてくれている。

園と家庭は両輪とよく言うが、勿論その機能がまったく同じなんてことはない。しかし私はこの国の幼稚園教育の理念とその方法は世界においても誇るべきものだと思っている。

特に私立幼稚園においては独自性も加え多様であるというところでも優れている。園長はもっとこの国の幼稚園教育のあり方をいろいろな場所で話すべきではないかと、今感じている。いかがだろうか。

2009.6.1 「ほとけの子を育てる

         6 月 1 日に、浅草の東本願寺で講演をしてきました。

           演題は「ほとけの子を育てる」でした。

           さて、端的に言って「我が子」と「ほとけの子」ってどう違うのでしょうか。

           「天上天下唯我独尊」はお釈迦さまがお生まれになったときに言われたことばだと伝わっていますが、実は結構誤解されています。

           その真意は「私こそが一番偉いのだ」ではありません。「人はそれぞれの存在(いのち)こそがそれぞれに尊い」と言われたのです。

           ですから「私の子」であるが「子供というものはどの子もそれぞれに尊厳をもっているものだ」という子供の見方が「ほとけの子」という意味です。

           これでは、まだ分かりづらいと思います。ほとけの子とは あなたとあなたの旦那さんの遺伝子をはるかに超えた「可能性」をもっている存在なのです。

           その可能性をしっかりと認め、伸ばしてあげる子供とのかかわりが「ほとけの子」を育てるということなのです。

           講演会にはたくさんの真宗の信徒さんも参加していました。東本願寺の大殿にはたくさんの人たちを優しく包み込む空気が漂っていました。

           信仰のお膝元で多くのほとけの子を育てる必要が今の日本にはあるようです。

2009.5.1 「i phone を買った理由

最近  iPhone  というものを購入した。テレビで宣伝している 電話とコンピューターとが一緒になったような携帯ツールである。

理由は ソフト・バンク系同士の携帯電話が無料であるということがその発端である。うちは娘2人と妻がソフト=バンクにしたからだ。

そのまた理由をたどると 上の娘が仕事で電話を使うが、仲間との連絡にソフト=バンクになった方が無料で迷惑をかけないということらしい.。

これは明らかに販売促進に有効な戦略である。仲間を増やすと互いに得をするということになると、黙っていても仲間に呼びかけるからである。

しかし私はそんなに娘とは電話で会話しないので特に換えなくてもよかったのだ。妻は毎日同じところにいるのでこれまた、同じ系列の電話にすることもない。

理由はこれではまずい。

iPhone にはスケジュール機能がついているので予定が入るたびに、この小さな機械に入れ込むようにしている。

それだけなら手書きの手帳でも同じことだが、とても便利なことがひとつある。朝、充電もかねてデスクにあるコンピューターに線でつなぐと、

あら不思議なことにコンピューターの中のスケジュール表に新規予定が書き加えられるという優れものだ。

しかし困ったこともある。やましいことはないのだが, すべての予定が全部出てしまう。「7時 飲み会」 なんて余計なこともすべて情報公開されてしまうわけだ。

いろんなゲームも、より取り見取りで購入できるのも売りだ。購入できるというのは、ゲームのソフトをダウンロードして機械の中に入れ込むことである。無料のものもあるがお金のかかるものもある。

ピロピロピロと5秒くらいで取り込めるのであるが、私はこの手のゲームには関心がなくやったこともないのでこれまた無用なのである。

なら、いかなる理由で購入したのか。

実は便利な機能もあるのだ。電車の時刻表がすぐに出る。東京の地下鉄の乗り換えも即座に分かる。さらに車のナビと同じように自分がどこにいるかわかる地図機能は役に立つ。

昨日も市川でタクシーの運転手さんに道順を教えることができたほどである。でも自分の頭と感を使わなくなっているのも事実である。正直少し馬鹿になるような気がする。

音楽や動画も楽しめるがあまり利用する暇がない。

インターネット機能は便利である。会議中でも正確な資料が取り出せるので知ったかぶりする人にはよいだろう。だが生半可な知識のひけらかしは恥をかくだけである。

ただ言える事がある。この優れものツールを生活の中でどう生かせばよいかと考えることは面白いことである。

結果的にたいしたことではないにしろ、何かに生かせないかを探求するのは私にとっては楽しいことであり好きなことである。

これだ!購入の理由はそこにあったとしておこう!

つくづく大工さんの残した木っ端切れや使い終わったプリンカップをイマジネーションで遊び道具にする子どもと同等のような気がする。

これが園長というものなのかもしれない・・・・・

 

 2009.4.1 「育ちの節目に」

   子育ての最終の目標は、子どもたちの自立にある。

    自立とは文字どおり、自分の足で立って 人生を生きていくことである。

    卒園生たちは この 4 月から小学生となり、ひとまわり大きくなって 新しい世界に入っていく。

    私たち幼稚園の先生は、それを見送るわけである。

    その気持ちは複雑である。

    もっとそばに置いておきたいという名残惜しさ。

    同時にこんなに立派になったという成長の喜び。

    そしてこれから大丈夫かなという心配だってある。

    こんな気持ちは小学校や中学校やまた高校の先生もきっと持つことなのだろう。

    しかし、この一歩の踏み出しを、育ちの節目をわたしたちは阻止してはいけない。

    子どもたちには新しい世界に飛び込むことがいつも必要なのだ。

    それに対して、お父さんやお母さんの子育ては、学校の先生と違って連続のものである。

    連続するから一生するから親なのである。

    ここでひとつの提案がある。

    4 月から小学生(中、高校生)として親としてどのように我が子とかかわるか よく話し合ってほしい。

    今までどおり変わらぬものと、変えてみるものがあっても悪くない。

    昔、中学生になると、万年筆を買ってもらったと記憶するお年寄りがたくさんいる。

    万年筆を持つことを許された大人としての扱いがその記憶の原点なのである。

    入学はひとつの通過点であるが、有効な育ちの節目である。

    賢明なる親とはそうした節目をうまく利用し、子どもを自立に向かわせるわけだ。

    ただし忘れてはならないのは 自立とはほどよい依存ができることでもある。

    つまり大の大人だって一人では生きて行けないことは明白なことであるからである。

 

 2009.3.1 「整理整頓感 」

    幼稚園教育とは何か?という問いには数ある答えがあります。

    その中で秋田喜代美さんという東京大学の先生はこう言っています。

    「幼児教育は ○○感といったものを培う教育」 だということです。

    ○ ○の中には 満足感、充実感、達成感、幸福感、清潔感、責任感、信頼感、美感、爽快感、劣等感はこまるが優越感、くつろぎ感(そんなのないか!)緊張感、いろんなものがあげられます。

    その中で大事にしたいものの中に整理整頓感があります。

    呑竜幼稚園は新園舎を作る時にこどもの生活の場所の近くに収納するスペースを沢山つくるようにしました。

    つまり必要なものは近くにあるが整理整頓されていることを大事にしたいと考えました。

    日本では台所のことを「勝手」といいます。

    勝手がいいとは決められたところに決められたものが置いてあることです。

    だから使い勝手がいい。

    すっきりとものが整頓されていると見た目もきれい、また子どもにとっては分類という知的な発達にも影響します。

    そんなわけで保育室内の整理整頓はとても大事なことです。 と同時にその中で生活することで子どもたちは心の中に整頓された秩序の美しさも育てたいと思います。

    3 月になり、あわただしい年度末の時期ですがきれいに整理整頓されたお部屋で残り少ない生活を送らせたいと思います。

    そして落ち着いた気持ちで卒園式を迎えたいと思っています。

   
    一年間、今年度もありがとうございました。

 

 2009.2.1 「子どもの力 」

   今月の7 , 8日の土曜と日曜に当園の作品展が開かれます。

    これは園内が子ども達の作品でいっぱいになる楽しい行事です。

    この時期になると園の暖炉の前のスペースが 素材置き場になります。

    空き箱、プリンカップ、カセットケース、ラップやトイレットペーパーの芯

    牛乳パック、卵パック、木切れ、かんなくず、ボタンや布などなど

    一見廃材置き場の様相です。

    でもそこに子ども達の姿が見られます。

    じっとそれらのものを見つめています。

    あとからあとから手に取る子もいます。

    そしてぱっと目を輝かせ、それを持ち去ります。

    そう、子ども達の頭の中にはぐるぐると創造と想像の力が働いているのです。

    子どものモノを作る過程は、大きくなると設計図なんてのを書く場合もありますが

    大方は、目の前のモノから発想が広がるのです。

    落ちている棒を見て、剣が思いつきます。

    つなげたブロックが鉄砲のように見えたときバンバンと撃ち始めます。

    でもその発想の素があり、そこに他のモノがちょうど良くあるとコペルニクス的大展開が見られるのも事実です。

    つまり剣や鉄砲で遊び始めた子にとっては、何でものない積み木の置き場所が戦いの基地となるわけです。これが楽しい。

    素材置き場に訪れる子達は目当てを持ってくる子もいますし、なんとなく来る子もいます。

    どちらにしても子ども達は大人から見ると、ゴミにしか見えないものを見て、創造力(想像力)を駆使することができる天才たちです。

    くっつけたり、穴をあけたり、切り取ったりしながら手も頭も口も総動員させて作りあげます。

    そんな天才の作ったものを(凡人になった?)大人に見せるのが当園の作品展であります。

    子ども達のみずみずしい感性と豊かな創造性(想像性)を少しお分けできるでしょう。

    どうぞお越し下さい。

 2009.1.1 「あけましておめでとうございます。」

   園長ぶつぶつを毎月読んでいただいている皆さん

    明けましておめでとうございます。

   
    一年が過ぎるスピードが加速的に増しているように感じられるのは私だけでしょうか。

    新しいスケジュールノートを購入するやいなや、次の年の秋頃の予定が埋まる生活を送るようになって久しいからです。

    じっくり地に足をつけた生活をすることをしたいものです。

   さて暮れに何気なくテレビを見ていたら、

    2008 年 1 月に遷化 (亡くなった) された曹洞宗 大本山永平寺のご住職 宮崎禅師のインタビューがありました。

    私が視たのは短い時間でしたがこんなことをおっしゃっていました。

       「自然は偉いものである。花の咲くことは変わらない。虫の鳴くことも変わらない。

       ほめられても、ほめられなくとも、時期が来れば花を咲かせ、虫は鳴く。

       そして、やがて去っていく。そのことが法であり、法に従うことが大自然である。」

   ちなみに昨年の世相を現す漢字は「変」だったようです。

    この国では総理大臣が何人も変わり、暮れにかけて経済状況も一転して、職を変わる(職がない)人たちがあふれました。

    あのような教えを説かれた老師がお亡くなりになった年が「変」の一年であったとは何か因縁を感じざるを得ません。

    さて 2009 年が明けて皆さんはこの年をいかようにしたいとお考えでしょうか。

    私は 私が与えられたことを当然のこととしてブレないでやっていきたいと考えます。

    その意味でスケジュールノートの予定が変わらないことに誇りをもち、しかし慣れとマンネリではない、いつもの一年が送れますようにと今思っています。

 

 

 


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